戦国の世が過ぎ、一時荒廃していた鹿沼宿は、慶長13年(1608年)3月、今宮神社の再建を機に復興が始まりました。この年は日照りが続き大旱魃(かんばつ)であったので、氏子や近郷の人びとが今宮神社に集まり雨乞いの祭りを三日三晩続けたところ、霊験あらたかに激しい雷雨がおこりました。そして、雨のあがった6月19日(旧暦)を宵祭り、翌20日を例祭とすることになったのが、今宮の祭りの始まりといわれています。
今宮神社の例祭日は、明治に入り新暦7月20日、大正に9月10日、昭和23年から市制施行日にあわせて10月10日と推移しましたが、平成9年から10月体育の日前の土曜日を宵祭り、続く日曜日を例祭日としました。
付け祭りは、最初は簡単な「踊り屋台」で各町内が踊りと狂言を競い合い奉納したものです。文政の改革(1827年)天保の改革(1841年)にて、華美な風俗が禁止されると、各町内は競って屋台の全面を彫刻で飾るようになりました。江戸末期には、付け祭りの主流は彫刻屋台に移行し、祭りの見せ場は今宮神社への屋台の繰り込みと繰り出しになりました。神輿巡幸は、明治15年(1882年)に、旧来の諸行事執行を時勢に合わせて手直しを加え、今宮祭典議定書を制定し現在の形ができあがりました。
「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」は、鹿沼の庶民階級の素晴らしいエネルギーを今に伝え、古習を伝承した最高の祭りといえるでしょう。
この行事は、華麗な彫刻で飾られた囃子屋台が巡行するもので、全国的な比較の観点からも貴重な行事であるとして、平成15年2月20日に国の重要無形民俗文化財に指定されました。 |